coffee &
paperbacks

a little time for reading and chatting with a cup of coffee

coffee & paperbacks は、同じ小説を読んできてあれこれおしゃべりをする、誰でも参加歓迎ののんびりとした読書会です。

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NUMBER
5
TITLE ティファニーで朝食を(新潮文庫)
AUTHOR トルーマン・カポーティ
DATE 2013年11月16日(土)14:00-17:00
PLACE 桜美林大学四谷キャンパス Y306教室
FEE 400円
(会場費と、お茶お菓子代として。)
NOTE 今回は村上春樹訳のバージョンを読みました。
終了後、タイ料理屋で二次会、ベルギービール屋で三次会を開催。

あらすじ

昔なじみのジョー・ベルから連絡を受け、僕は彼のバーに行った。写真家のユニオシさんがアフリカで撮った写真に写っている木彫りの彫像は、ホリーそっくりだ。モデルの女性は二人の男とその村に泊まり、やがて去っていったという…。
ニューヨークで一人暮らしを始めた作家志望の僕が住むアパートに、ホリーも住んでいた。彼女は鍵をなくしては、上の階に住むユニオシさんを叩き起こしていたが、やがて今度は僕がその役を引き受ける。郵便受けには「ミス・ホリー・ゴライトリー、旅行中」とある奔放で型破りの彼女と僕の、一風変わった友情が始まる。

about the author

トルーマン・カポーティ(Truman Garcia Capote, 1924-1984)

アメリカの小説家。ルイジアナ州ニューオリンズ生まれ。子供の時に両親が離婚し、アメリカ南部各地の遠縁の家を転々として育つ(『ティファニーで朝食を』収録の「クリスマスの思い出」はそんな彼の幼年期を彷彿とさせる)。
17歳で「ニューヨーカー」の雑用係になる。19歳の時に掲載された最初の作品『ミリアム』でオー・ヘンリー賞を受賞。
23歳で処女長編『遠い声 遠い部屋』を出版し、若き天才作家として注目を浴びた。中篇『ティファニーで朝食を』は映画化され大ヒット。ノーマン・メイラーとともにゴシップ欄の常連になるなど、公私両面で話題を振りまいた。
8年後に出版された次作『冷血』では一転、実際に起きた一家殺人事件を題材にし、ノンフィクション・ノベルという新たなジャンルを切り開いたが、晩年はアルコールと薬物中毒に苦しみ、奇行が目立ち始め、執筆活動も停滞。遺作『叶えられた祈り』で事実を交え上流社会の頽廃を描いたことにより、懇意にしていたセレブたちの反発を招き、作品も未完に終わった。1984年8月25日にロサンゼルスの友人ジョーン・カーソンのマンションで心臓発作で急死。

from the facilitator

ヘップバーンの映画は観るけど、原作は読んだことがないという人も多いはず。でも、じつはアメリカ文学史上、屈指の名作。あっという間に読めるけど深い物語です。

今回の会場について

四ツ谷駅から5分。参加者のご厚意により、大学の施設を使わせていただきました。
終了後は、近くの居酒屋さんでアフタートーク。

お菓子とお茶

お菓子は、参加者のお気に入りの山口県のお菓子屋さん「YAOZE」さんから焼き菓子をお取り寄せしました。
お茶は、「TEAPOND」さんの紅茶を4種類。毎回ミントティーとライチティーが人気です。

読書会を終えて

主人公ホリーってどんな子?

ホリーは奔放な魅力と才覚ひとつで、男性をつかまえ、世の中を渡っていく、いわばジゴロのような女性です。

掃き掃除やら、冷蔵庫の霜取りやら、クリーニング屋に服を持っていくことやら、こっちはそんなことをすっかり忘れちゃえるわけ。(37ページ)

「レズのルームメイトを持つと便利でいいわ」というスゴイ発言をするシーンですが、歴史好きの参加者によると、この物語の舞台となった1942年当時のアメリカの冷蔵庫普及率は、おそよ50%。当時のアメリカ人がそうとうモダンな生活をしていたことがわかります。
冷蔵庫の次はラジオ。ホリーは戦略的に裕福な男性をハントして生活を立てている女性です。好きでもないラジオを聞いてネタの仕込みに余念がありません。

ラジオ中継のあの音にはどうにも耐えられないわ。でも聴く必要があるから聴いているの。リサーチのひとつとしてね。(61ページ)

部屋はグチャグチャ、でもホリーはそこから見事なおしゃれを立ち上げます。『痴人の愛』の妖女ナオミについても同じ描写があるという指摘がありました。

まったくそのようなすさまじい現場から、どうやってあの見事な着こなしができあがるのか、それはまことに熟考を要する問題であった。(86ページ)

持ち前の魅力と才覚だけで世の中を渡っていこうとするホリーの生き方は、しかし、ちょっとあぶなっかしいものに映ります。現に、麻薬取引の方棒を担がされたかどで、警察に逮捕されてしまいます。

ところがここに、何があろうと断じて変化しようとはしない二人の人物がいる。ミルドレッド・グロスマンとホリー・ゴライトリーの二人だ。それこそが彼女たちの共通点である。彼女たちが変化しようとしないのは、彼女たちの人格があまりにも早い時期に定められてしまったためだ。ちょうど何かの拍子に金持ちになってしまった人間と同じように、あるところで人を支える均衡のようなものが失われてしまったのだ。(…)この二人はいつまでたっても変わらない。同じように迷いのない足取りで人生をさっさと通り抜け、そこから出て行ってしまう。左手に断崖絶壁があることなんてろくすっぽ気にかけずに。

ホリーは脇目もふらず、リスクに満ちた「断崖絶壁」のへりを歩むような生き方を貫きます。孤児として育ち、たぶん幼少時にはひどい目にもあっただろうホリーは(「人格があまりにも早い時期に定められてしまった」)、なんとか自力でその境遇を抜けようともがいているのかもしれません。ここには、当然、自身孤児だった作家の個人的な思いが込められているでしょう。

そんな風に断崖を歩くようにしてホリーが求めるのは、ティファニーのような場所です。ティファニーとは、彼女にとって安住や安心を象徴するような場所、怖いことの起こらない場所を象徴しています。そんな場所を求めて行動するひたむきさがどこかに漂うのが、とっぴで自分勝手な振る舞いにもかかわらず(「ホリーにさんざん尽してやった見返りが、皿に山盛りの糞だ」)主人公はじめ他の登場人物がホリーを愛するゆえんになっています。読者もしかりです。

不正直な心を持つくらいなら、癌を抱え込んだ方がまだましよ。だから信心深いかとか、そういうことじゃないんだ。もっと実際的なもの。癌はあなたを殺すかもしれないけど、もう一方のやつはあなたを間違いなく殺すのよ。(130ページ)

その人がどんな風に私を扱ってくれたかで、私は人の価値を測るの。(159ページ)

ホリーには、自由であるためのホリーなりの「倫理」あるいは約束事があり、そこが彼女をただの浮かれ女とは違う存在にしています。

人物造形の見事さ

ホリーだけでなく、この本に出て来るキャラクターはどれも魅力的です。無愛想にリムジンを呼んでホリーを空港に送るいきつけのバーのマスターしかり、ホリーとの婚約を土壇場で反故にするブラジル人ホセしかり。とりわけ秀逸なのが、ホリーの友人、モデルのマグ・ワイルドウッドです。「野生の森」という名前そのものの強烈な個性は、読者の爆笑を誘います。

彼女は言うなれば醜さを乗り越えた勝利だった。そのような達成は多くの場合、本当の美しさにも増して人目を惹くことになる。(…)マグ・ワイルドウッドは自分の欠点を大胆に認めることで、それを装飾に変えてしまった。ただでさえ高い身長を更に目立たせるために、そそり立つハイヒールを履き、おかげで彼女のかかとはびくびくと震えていた。ボディスはきつく締めつけられ、胸にはでっぱりというものがなく、これなら男物のトランクスをはくだけでビーチに行けるんじゃないかと思えるほどだ。後ろにぴったりとひっつめられた髪は、彼女の顔の、いかにもファッション・モデルっぽいやせこけた潤いのなさを、ますます強調していた。そのどもりでさえ―生来のものには違いなかろうが、誇張のあとがうかがえる―彼女の武器となった。このどもり方こそが決め手だった。まず第一にそれは、月並みな言葉を個性的に響かせた。第二に、長身と押し出しの強さにもかかわらず、そのどもる声を聞いている男性たちに「この女性を保護してやらねば」という思いを抱かせた。例を示そう。彼女に「お、お、お手洗いはどこか、だ、だ、誰か教えて下さらない?」と言われたとき、バーマンは思わず息を詰まらせ、どんどんと背中を叩かれなくてはならなかった。そのような一連の手順が完了すると、彼は彼女に腕を差し出し、自らそこまで案内しようとした。(72-3)

「ホリーを好きになれるか?」

さて、じゃあホリーってどうよ。これが、この物語を気にいるかどうかの、大きな分かれ目になると思います。たとえば、つぎのくだり。

「でも野生の生き物に深い愛情を抱いたりしちゃいけない。心を注げば注ぐほど、相手は回復していくの。そしてすっかり元気になって、森の中に逃げ込んでしまう。あるいは木の上に上がるようになる。もっと高いところに止まるようになり、それから空に向けて飛び去ってしまう。(…)野生の生き物にいったん心を注いだら、あなたは空を見上げて人生を送ることになる」(115末~116ページ)

ホリーが自分のことを野生動物として語るかっこいい場面ですが、女性の参加者からは、女の子がこんなふうに自分を語るとは思えないし、本当に語るとしたら酔ってて馬鹿みたい、だから、これは男の子(カポーティ)がイメージする理想の女の子像なんだ、という意見がでました(なるほど!)。
これにすぐ続いて、次のように言われます。

「空を見上げているほうが、空の上で暮らすよりはずっといいのよ。空なんてただ空っぽで、だだっ広いだけ。そこは雷鳴がとどろき、ものごとが消え失せていく場所なの」(116ページ)

自由に生きることの虚しさや恐ろしさが素直に吐露されていて、ここは男性はぐっときたようです。

その手紙を目にしたとき、彼女は目を細め、唇をぎゅっと曲げ、小さな厳しい微笑みを作った。そうするととたんにぐっと大人びて見えた。「ダーリン」と彼女は僕に言いつけた。「そこの抽斗から化粧バッグを取ってくれない。女たるもの、口紅もつけずにその手の手紙を読むわけにはいかないもの」(152ページ)

ホセの書き置きが、読む前から別れの手紙であることを察して身構えるシーンですが、ホリーの任侠みたいなプライドを表しているという男性の意見もあれば、あり得ないでしょ、という女性の意見もありました。これも、男性の作家(と読者)の理想が映し出されている場面かもしれません。

「愛というのはね、広く許されるべきものなのよ。」(129ページ)

ホリーにとって愛はどんなものだったのか、という疑問も出されました。自分の場所を確保するための手段や打算、というだけではない気もしますが、ビミョーなブラジル人のホセのことが純粋に好きなの?
と疑いたくなる部分もあります。語り手「僕」のホリーへの気持ちも含め、このあたりの感情の機微がじつに丁寧に書きこまれていることについて、楽しく議論が続きました。

猫とホリー

ホリーは猫を飼っていますが、その猫に名前を与えていません。

「かわいそうに名前だってないんだから。名前がないのってけっこう不便なのよね。でも私にはこの子に名前をつける権利はない。ほんとに誰かにちゃんと飼われるまで、名前をもらうのは待ってもらうことになる。(…)自分といろんなものごとがひとつになれる場所をみつけたとわかるまで、私はなんにも所有したくないの。そういう場所がどこにあるか、今のところまだわからない。でもそれがどんなところだかはちゃんとわかっている」、彼女は微笑んで、猫を床に下ろした。「それはティファニーみたいなところなの」(64ページ)

ホリー・ゴライトリーという名前自体、偽名であることが途中で明かされます。自分が確かに安心できる場所を得るまで、本当の名前をもらうことはない、そんなせつない決意が、ここにはにじんでいるようです。
ホリーは最後にアメリカを脱出するとき、猫を捨てることを決意します。

「ああ、神様、私たちはお互いのものだったのよ。あの猫は私のものだった」 (…) 彼女は微笑んだ。喜びを欠いた、はかない微笑みだった。これまで目にしたことのなかった微笑み。 「でも私はどうなるの?」と彼女は言った。囁くような小さな声で。そしてまた身震いした。「私は怖くてしかたないのよ。ついにこんなことになってしまった。いつまでたっても同じことの繰り返し。終わることのない繰り返し。何かを捨てちまってから、それが自分にとってなくてはならないものだったとわかるんだ。いやったらしいアカなんてどうでもいい。太っちょの女だって、なんでもない。でもこいつだけは駄目。口の中がからからで、どう力をふりしぼっても、唾ひとつ吐けやしない」(168ページ)

お互いに安住の場所を見つけていない存在として、猫にはホリーの気持ちが大きく投影されています。猫はおしまいで安住の地(部屋)をみつけます。では、アフリカの村で目撃されたというホリーはどうなったのでしょうか。そんな余韻を残して、この見事な現代のお伽噺は幕を閉じます。
参加者それぞれが、微妙に異なる細部にひっかかったようで、そのどれもがしっかりと他の場面への複線になっていることに気づかされる、楽しい読書会になりました。

今回は、twitterでの呼びかけを見つけてくれた方数名が参加してくださいました。
これからも参加しやすい、敷居の低い読書会を目指して続けていこうと思います。