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a little time for reading and chatting with a cup of coffee

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NUMBER
8
TITLE 痴人の愛(新潮文庫)
AUTHOR 谷崎 潤一郎
DATE 2014年5月24日(土)15:00-18:00
PLACE ダージリン日暮里店
FEE 参加費は無料(オーダーしたお茶代のみ)
NOTE 終了後に根津のBistro chat noirさんにて二次会を開催しました。(自由参加)

あらすじ

真面目なサラリーマン河合譲治には、世の中を何も知らない年頃の娘を手元に引き取って、妻としての教育と作法を身につけさせ、いい時期におたがいが好きあっていたら夫婦になる、という夢があった。 彼は浅草のカフェでナオミという美少女に出会う。混血児のような美しい容貌であったが、その頃は無口で沈んだところのある、血色もよくない娘で実家も貧しかった。 彼は彼女を引き取り、大森に洋館を借りて二人暮らしを始める。「友達のやうに」暮らそう、と二人はママゴトのような生活を送る。寝室も別だった。 稽古事をすることを約束させ、ゆくゆくはどこへ出ても恥ずかしくないレディに仕立てたいという彼の期待は次第に裏切られていく。頭も行儀も悪く、浪費家で飽きっぽいナオミの欠点を正そうとすると、ナオミは泣いたりすねたりして、最後には彼のほうが謝ることになる。 ある日、彼が早く家に帰ってみると、玄関の前でナオミが若い男と立ち話をしているのにぶつかった。嫉妬にかられた彼は問いただすが否定される。しかし、ナオミが他にも何人もの男とねんごろなつきあいをしていることに怒った彼は男達との付き合いを禁じ、ナオミを外出させないようにした。いったんナオミはおとなしくなったものの、また男と密会していることが分かり、彼はナオミを追い出してしまう…。

about the book

1924年3月から『大阪朝日新聞』に連載、6月から10月までいったん中断したが、後半は『女性』誌に1925年7月まで掲載された。
カフェの女給をしている15歳の美少女ナオミを育て、いずれは自分の妻にしようと思った男が、次第に少女の魅力の虜となり、破滅するまでを描く。
耽美主義の代表作で、「ナオミズム」という言葉を生み出した。

about the author

谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年-1965年)

明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで旺盛な執筆活動を続け、国内外で高い評価を得た。
初期は耽美主義の一派とされ、女性愛やマゾヒズムなどのスキャンダラスな文脈で語られることも少なくないが、その作風や題材、表現は生涯にわたって様々に変遷を続けた。漢語や雅語から俗語や方言までを使いこなす端麗な文章と、作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口が特徴。
ミステリー・サスペンスの先駆的作品、活劇的な歴史小説、説話調の幻想譚、グロテスクなブラックユーモアなど、娯楽的なジャンルにおいても多く佳作をものしたが、『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』など、情痴や時代風俗などのテーマを扱う通俗性と、文体や形式における芸術性を高いレベルで融和させた純文学の秀作によって「文豪」「大谷崎」と称された。近代日本文学を代表する作家。

from the facilitator

京浜東北/根岸線の沿線が舞台になっている物語で、土地のことを想像しながら改めて読んでみたいと思っています。

【今回選ばれなかった候補作品】

読書会を終えて

まさにタイトル通りの「痴人の愛」。自己中で愚かな青年と、わがままで性的に奔放な娘の、奇妙で滑稽な愛憎物語を、読書会で取り上げました。物語としてはしょーもないダメ男ダメ女のもつれ話ですが、そこは谷崎。見事な文章で飽きさせることがありません。どんな二人なのでしょう。

譲治という男

「世帯を持つ」と云うようなシチ面倒臭い意味でなしに、呑気なシンプル・ライフを送る。――これが私の望みでした。(11ページ)

それから又、私には妙な虚栄心もありました。と云うのは、「あれがあの女の亭主だと見える」と、評判されて見たいことです。(153ページ)

譲治はナオミを愛している、というより、「ナオミという美しい女を所有している自分」に強くこだわっています。ナオミはまるでアクセサリーのような扱いです。こんな男ぜったい嫌、と女性の参加者は語りましたが、イマイチこの男に同情できないのは、この自分勝手さのせいでしょう。

夏は勿論、冬もストーブで部屋を暖めて、ゆるやかなガウンや海水着一つで遊んでいることも屡々ありました。(61ページ)

あまり詳しくは語られませんが、譲治は相当裕福な人のようです。
当時の隙間風の多い家屋であることを考えると、どれだけ火をたけばこんな生活ができるのでしょうか。ナオミも一切遠慮することがありません。

ナオミを他人にとられそうになると、譲治の所有欲と虚栄心は刺激され、ナオミへの執着が深まっていきます。

「もう一度何とかしてほんとうの夫婦になろうじゃないか。
(中略)
子供を生んでくれないか、母親になってくれないか?(265ページ)

ただ、その執着はどういう内実を持っているでしょうか。

ナオミは私に取って、最早や貴い宝でもなく、有難い偶像でもなくなった代り、一箇の娼婦となった訳です。(中略)全く彼女の肉体の魅力、ただそれだけに引き摺られつつあったのです。(中略)女神を打ち仰ぐように崇拝さえもしたのですから。(263ページ)

ナオミへの執着は、ひたすらそのボディの魔力に釣り込まれてのこと。ここまできっぱり言い切られると、ある種すがすがしさも感じたりします。

ナオミの魔性

むっちりと肉感的なナオミの肉体が、随所で語られます。

ボタンを嵌めてやる折に、彼女が深く息を吸ったり、腕を動かして背中の肉にもくもく波を打たせたりすると、それでなくてもハチ切れそうな海水服は、丘のように盛り上った肩のところに一杯に伸びて、ぴんと弾けてしまいそうになるのです。(45ページ)

つぎのくだりは、「偉い発展家だそうだぜ」と評される尻軽女の凄みを表していて、印象的です。

女の顔は男の憎しみがかかればかかる程美しくなるのを知りました。カルメンを殺したドン・ホセは、憎めば憎むほど一層彼女が美しくなるので殺したのだと、その心境が私にハッキリ分りました。ナオミがじいッと視線を据えて、顔面の筋肉は微動だもさせずに、血の気の失せた唇をしっかり結んで立っている邪悪の化身のような姿。――ああ、それこそ淫婦の面魂を遺憾なく露わした形相でした。(273ページ)

下品で派手な顔立ちの女ゆえ、高級な着物が似合わない、というくだり。リアルです。

めりんすや銘仙を着ていると、混血児の娘のような、エキゾティックな美しさがあるのですけれど、不思議な事にこう云う真面目な衣装を纏うと、却って彼女は下品に見え、模様が派手であればあるだけ、横浜あたりのチャブ屋か何かの女のような、粗野な感じがするばかりでした。(126ページ)

直美には、とっておきの必殺技もあります。

ナオミはいつでもその「手」を用いられるように、勝負の時は大概ゆるやかなガウンのようなものを、わざとぐずぐずにだらしなく纏っていました。そして形勢が悪くなると淫りがわしく居ずまいを崩して、襟をはだけたり、足を突き出したり、それでも駄目だと私の膝へ靠れかかって頬ッぺたを撫でたり、口の端をつまんでぶるぶると振ったり、ありとあらゆる誘惑を試みました。私は実にこの「手」にかかっては弱りました。就中最後の手段――これはちょっと書く訳に行きませんが、――をとられると、頭の中がなんだかもやもやと曇って来て、急に眼の前が暗くなって、勝負のことなぞ何が何やら分らなくなってしまうのです。(83ページ)

愚かな男女の戯れのようにも見えますが、ここを読んでもわかるように、主人公はむしろみずから進んで破滅の淵に身を投げたいと願っているかのようです。譲治はマゾヒズムの傾向がありそうです。

マゾ男の言い分

譲治は明らかにマゾの傾向があり、そこが読者の好奇心を刺激します。こうした性的趣向が今よりも知られて(語られて)いなかった当時、こうした部分は、どれほどの衝撃があっただろうかと想像してしまいます。あけすけな描写は今でも十分ショッキングです。

ナオミを激情にかられて叩き出してしまってから、後悔に襲われ、喪失感にさいなまれて、譲治がとる行動は、おぞましく、滑稽です。

それから私は、――此処に書くのも耻かしい事の限りですが、――二階へ行って、彼女の古着を引っ張り出してそれを何枚も背中に載せ、彼女の足袋を両手に嵌めて、又その部屋を四つン這いになって歩きました。(280ページ)

足袋を手にはめるのは「おうまさんごっこを思い出してのことだと思う」という参加者の指摘がありました。足袋を嵌めた手は、ちょうど馬のひづめのようです。
ナオミがもし帰ってきたら一番にして欲しいことは、かつてのように「おうまさんごっこ」をやってもらうことだ、というこの男は、かなりのマゾです。
クライマックスも、マゾヒズムの極致を表す衝撃的なオチです。

「お前に捨てられちまったら、田舎へ引っ込もうと思ったんだが、もうこうなれば引っ込まないよ。田舎の財産を整理して、現金にして持ってくるよ」(370ページ)

とうとう一線を超え、譲治はナオミに全面降伏し、すべてナオミの言うがままの存在になり果てます。どうやら裕福な実家の財産を処分して、直美に貢ぐのです。ナオミはそれ以後、自由を謳歌したことがほのめかされています。
むしろこうした隷属状態、自分を相手に全面的に譲り渡してしまうことは、譲治にとっては快感のように見えます。はたから見れば破滅していますが、譲治はけっこう幸せなのかもしれません。なかなかに壮絶な幕切れです。

フェチシズム

この作家は、においや息に敏感な、感覚的な人であったようです。

夫人が始めて、
“Walk with me!”
と云いつつ、私の背中へ腕を廻してワン・ステップの歩み方を教えたとき、私はどんなにこの真っ黒な私の顔が彼女の肌に触れないように、遠慮したことでしょう。(中略)
それのみならず夫人の体には一種の甘い匂がありました。
「あの女アひでえ腋臭だ、とてもくせえや!」
と、例のマンドリン倶楽部の学生たちがそんな悪口を云っているのを、私は後で聞いたことがありますし、西洋人には腋臭が多いそうですから、夫人も多分そうだったに違いなく、それを消すために終始注意して香水をつけていたのでしょうが、しかし私にはその香水と腋臭との交った、甘酸ッぱいようなほのかな匂が、決して厭ではなかったばかりか、常に云い知れぬ蠱惑でした。それは私に、まだ見たこともない海の彼方の国々や、世にも妙なる異国の花園を想い出させました。
「ああ、これが夫人の白い体から放たれる香気か」
と、私は恍惚となりながら、いつもその匂を貪るように嗅いだものです。(107ページ)

ロシア婦人の腋臭に陶然となるこのシーンでは、谷崎の白人コンプレックスが色濃く打ち出されているようにも感じられます。ここで主人公は、においそのもの、というよりも、においが表象するもの、遠い異国のエキゾティズムをくすぐられて興奮しているようです。どこまでが肉体的・性的な興奮で、どこまでが知能的な興奮だかの線引きが難しい興奮の描写です。
ナオミが出て行ったあと、せつなくナオミの気配を虚空に求める次のシーンも、フェチな香りがします。また、滑稽であると同時に、ちょっとおぞましいものがあります。

私はよく、彼女の芳わしい息の匂を想い出して、虚空に向って口を開け、はッとその辺の空気を吸いました。往来を歩いている時でも、部屋に蟄居している時でも、彼女の唇が恋しくなると、私はいきなり天を仰いで、はッはッとやりました。私の眼には到る所にナオミの紅い唇が見え、そこらじゅうにある空気と云う空気が、みんなナオミのいぶきであるかと思われました。つまりナオミは天地の間に充満して、私を取り巻き、私を苦しめ、私の呻きを聞きながら、それを笑って眺めている悪霊のようなものでした。(353ページ)

美しい文章と、風俗の活写

男女のしがない痴情のもつれを、悪くいえばワイドショーのように描きながら、それでも低俗に堕することがないのは、その見事な文章が寄与しています。どの文もきりっとひきしまっていて、音読したくなるような文章だし、映像が鮮やかに目に浮かんできます。

昔、狐が美しいお姫様に化けて男を欺したが、寝ている間に正体を顕して、化けの皮を剥がされてしまった。(中略)寝像の悪いナオミは、掻い巻きをすっかり剥いでしまって、両股の間にその襟を挟み、乳の方まで露わになった胸の上へ、片肘を立ててその手の先を、あたかも撓んだ枝のように載せています。そして片一方の手は、ちょうどわたしが据わっている膝のあたりまで、しなやかに伸びています。(194ページ)

女性を実地でよく観察しているんだろうな(笑)と感じさせる、じつに生々しい文章です。
また、次のような美しい風景描写が、清涼剤のようにときどきはさまれ、読者を飽きさせることがありません。

それは今夜に限ったことではありませんが、その晩はまた、日の暮れ方にさっと一遍、夕立があった後だったので、濡れた草葉や、露のしたたる松の枝から、しずかに上る水蒸気にも、こっそり忍び寄るようなしめやかな香が感ぜられました。ところどころに、夜目にもしるく水たまりが光っていましたけれど、沙地の路はもはや埃を揚げぬ程度にきれいに乾いて、走っている車夫の足音が、びろうどの上をでも蹈むように、軽く、しとしとと地面に落ちて行きました。(215ページ)

次の文章は当時栄えていた「曙楼」についてのものです。巧みに時代風俗が盛り込まれているのも、愉しみの一つです。

「盛んにダンス場へ出入りしているに違いないから、銀座あたりは最も危険区域ですね」「大森だって危険区域でないこともない、横浜があるし、花月園があるし、例の曙楼があるし、………事に依ったら、僕はあの家を畳んでしまって下宿生活をするかも知れません。当分の間、このホトボリが冷めるまでは彼奴の顔を見たくないから」(320ページ)

『曙楼」は「例の」といわれるように、当時は「大人の遊園地」だったようですが、現在調べても、「子供の遊園地」としての情報以外、なかなか出てきません。時代に埋もれた秘密の場所の記憶が、この本には顔をのぞかせています。

文章の芸と、痴話が見事に融合された文豪の名人芸に、あきれるやら感心するやらの、楽しい読書会になりました。

Today's tea and beer

今回は、谷中にある「ダージリン日暮里店」さんで開催させていただきました。
茶葉の種類が充実したこだわりの紅茶を、個性あふれるさまざまな茶器でいただきました。
ナオミの部屋を彷彿とさせるような布使いが今回の読書会にぴったりでした。
ダージリン日暮里店