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NUMBER
6
TITLE 甲州子守唄(講談社文芸文庫)
AUTHOR 深沢七郎
DATE 2014年1月18日(日) 14:00-17:00
PLACE 桜美林大学四谷キャンパス
FEE 500円
NOTE  

あらすじ

明治末から大正、昭和にかけての時代の流れが、笛吹川のほとりに住む貧しい一家の「オカア」の眼差しから描かれる。
明治末、徳次郎はアメリカへ出稼ぎに行く。「十年たったら、帰ってこう、きっと、嫁をきめておくから」とオカアは心待ちにしていた。渡航費用の借金をひと月で返してきた徳次郎は、十年後、砂糖とシャボンと餅マンジュウを土産に一時帰国。だが、嫁が決まらない。「アメリカなんかへ行けば生き別れのようなもん」と誰も相手にしてくれない。やっと決まった嫁は、乞食の「オクレやん」が世話した不器量なチヨだった。十日後、徳次郎はチヨを連れアメリカに戻る。さらに十年後、徳次郎は一家五人で帰国する。裕福になっているが、母親の妹がカネの無心に来ると、「ヒトが変わって、薄情にな」った彼はすげなく断る。徳次郎が「アメリカさん」になってためたお金も、戦争になって目減りする。戦前から徳次郎のお金で石鹸などを売るささやかな「百貨店」)を始めていたオカアは、闇商売に手を出す。したたかに儲けたオカアは、徳次郎が、サッカリンにうどん粉をまぜているのを知っても開き直り、「(いいさ、いいさ、恥をかいてもしかたがねえさ)」とひとりごちる…。

about the author

深沢七郎(ふかざわ しちろう、1914年1月―1987年) は、日本の小説家、ギタリスト。

山梨県の現笛吹市に生まれる。中学の頃からギターに熱中し、ギタリストとなる。
1956年に『楢山節考』で中央公論新人賞(第1回)受賞。三島由紀夫らが激賞し、ベストセラーに。戦国時代の甲州の農民を描いた『笛吹川』も評判になる。
1960年に『中央公論』に発表した『風流夢譚』で天皇・皇族の殺害シーンを描くと、翌年、中央公論社社長宅が右翼に襲撃される嶋中事件が起こり、筆を折って各地を放浪。放浪中も『放浪の手記』などを執筆している。
1965年、埼玉県の現久喜市に「ラブミー農場」を開き、以後そこに住んだ。
1971年、墨田区に今川焼屋「夢屋」を開く。包装紙は横尾忠則のデザイン。
1981年に『みちのくの人形たち』で谷崎潤一郎賞受賞。
1987年8月18日、心不全のため73歳で死去。
告別式では、遺言に従ってリストの『ハンガリー狂詩曲』やプレスリー、ローリングストーンズなどをBGMに自ら般若心経を読経したテープや、自ら作詞した『楢山節』の弾き語りのテープが流された。

from the facilitator

昨年ふと手にした深沢七郎の『笛吹川』は、甲州武田家の盛衰とともあった農民六代の生と死をめぐる物語でした。その「土俗の語り」に衝撃を受け、日本文学の深みを改めて知りました。今回再び深沢文学に浸ってみたいと選書した『甲州子守唄』は、明治から昭和にかけての甲州の三代にわたる一家の物語です。

読書会を終えて

この物語はオカアといういちおうの主人公は設定されているものの、村のさまざまなキャラクターたちのエピソードを積み上げて語られるサーガのような語り口になっています。
うまいのか下手なのかわからない独自の文体でつづられ、なんとも不思議な読後感を残す作品です。うまくいえないけど、無茶苦茶面白い、というのが、大方の感想でした。その面白さの要素で、議論にあがったところを、いくつか紹介します。

主体性がない

この物語に登場する人物たちの特徴は、なんといっても、主体性がないことです。もっとも強烈なのが、徳次郎が自分の嫁を決める場面。最初は「顔がまずい」見合い相手にドンビキして踵をかえそうとする徳次郎が、みなの説得で結局は嫁をもらってしまいます。あふれるユーモアにも魅了、というか爆笑させられずにはおれません。

「よく承知していやアす、顔がまずいと言ってもベツに片輪でもねえし」

とオカアが言うと、

「まずうごいすよ、立てば立ちウス、座ればスウス」
(…)(168ページ)

「まあ、まあ、ゆっくりおしなって」 と父親があわてている。徳次郎はすぐに帰ってしまうつもりである。小松のおばさんは娘が出て来たときにすぐ気がついた。(狐ッ付きみたいに口がとがっている)と思った。そう思ったが決めるつもりで来たのだから(顔はまずいが、稼ぎ者だそうだからこの娘を貰ったほうが得だ)と思っていた。ギンも娘が出てきたときに(まずいなア)と思った。器量はよくないと思っていたがこれほど不器量だとは思っていなかったのだった。
(…)(p.172ページ)

「おもらいなって」
とオクレやんが言った。
「ほかにゃねえよ、兄やん」
とギンが言った。
「きめてくりょオ」
と小松のおばさんが言った。
「…………」
みんなに言われて徳次郎は(仕方がねえ)と思った。ほかには相手がないし、きめるよりほかに方法はないのである。
「それじゃア、貰うことにきめやしょう」
と徳次郎は言った。(よかった)と小松のおばさんもギンも思った。
(164~173ページ)

「顔がまずい」とみんなに連呼される嫁もなんだか気の毒ですが、それは置いておくとして、もらっちゃいますか!? 
ここには主体性や、積極的な意思といったものが感じられません。
別の場面でも同様です。
言われのない因縁を吹っ掛けられ理不尽に殴られても、応戦するでねえ、とたしなめる母の言葉に、

「「がまんしろ」とオカアがいう声は子守唄のように徳次郎の気をらくにさせた。」(79ページ)

という徳次郎。
アメリカ帰りでひとが変わったようになり、戦中は闇商売に手を出した息子に違和感を抱きつつも、

「いつまでも(いい人間で終ってしまうことなんか出来んさ)とオカアは覚悟をきめた。」(290ページ)

と受け入れてしまう母。
物語の最初から最後まで、こうした非主体的な人間観が貫かれます。
それと、あからさまにではないにせよ、戦争に無自覚になだれ込んで行った日本の時代とが重ね合わされているようでもあります。
戦争の初期には、広いところにいるアメリカ人とちがって、狭いところに住んでる日本人は集中力が違うから勝てると断言していた徳次郎が、敗戦を前にすると、

「アメリカじゃア、野良へ行くにゃトラックで送ってくれるだ、野良が遠いから着くだけで夕方になっちもうから、あんねに土地の広い国と戦っても勝つわけはねえ、負けても当たり前だ」

と理屈をひっくり返してしまうのも、なんだか妙にリアリティがありました。

次は、離縁になって実家に戻ってきたギンの荷物に関するエピソードです。これなども、主体性のなさと、明らかに相手が悪くても、こちらから謝っとくに越したことはない、という日本人の世渡りが端的に出ています。これなど、いまだに日本人の姿そのものかもしれません。

「わしが一緒について行ってやるから、口惜しいけんど謝っても、荷物は取り返さなければ損だ」
と正やんは言って、ギンも行くことになった。二度と行きたくない家だが行かなければ持って行ったときの腰巻も下駄も返してくれないので
「何を言っても、“お悪うごいした”と言っているように」
と正やんは教えてくれて一緒に行ってくれた。オカアはそんな家へギンを行かせて謝らせるのは可哀想だがそうしなければ荷物が貰えないのである。裸で嫁に行ったと言っても櫛から下駄まで身のまわりのもは全部で大きい風呂敷に1つあったのである。逃げて帰ってきた家へまた行かなければならないのでオカアは情けなくなった。自分が代って誤りに行ってすむことなら(行くけんど)と思ったがそれでは駄目なのである。
「ふんじゃア、がまんして、行ってきてくりょう」(113ページ)

寒村のリアル

戦中の場面では、子どもの命で親が金を得たいと願います。

「俺家じゃ待ってるのでごいすよ」
と言うのである。
「男が6人もありやすから、ひとりぐれえ招集にならなきゃア」
と峯やんは言うが、
「たまに当って死げば、ただじゃごいせん、親は左うちわでごいすよ」
と言った。もし戦死すれば金が貰えるので親は安心して暮して行けるそうである。(212ページ)

「なんだか凄いはなしだなあ」という感想に答えて、ある参加者は、自分の出身の滋賀あたりでも、昔は次男以下は追い出されるように家を出て行き、長男のみが家督を継ぐというのはよく見られたことだと言いました。かつての日本(だけでなく、貧しいところ)では、こういった光景は珍しくなかったのかもしれません。でも、やっぱりなんだか壮絶な世界です。
同じような壮絶さは、次の文にも感じられます。

「ふんとに、気びがいいようのもんでごいすよ」
と言いだした。藤作やんの息子が死んだのは気持のよいことだと金吉ちゃんは言うのである。
「ふんとに」
とオカアも相槌を打つように言って、
「それでも、まあ、可哀想のもんでごいす」
とも言った。
「ふんとに、可哀想のもんでごいすよ」
と金吉ちゃんも言った。死んだのは可哀想のことだが、また、気持のよいことでもあるのだ。
(…)
神様の申し子のような利口な子が生れて、誰にも羨やましがられていたのだが、その息子が死んだので、誰でも腹の中では安心したような気もするのだった。
(…)
「藤作やんもちからを落したことでごいしょう、いまに、息子が偉くなって、“それみろ”と言うつもりだったでごいしょうよ」
と金吉ちゃんは言った。それでも、死んだことは可哀想なのである。
「まったく、可哀想なこんでごいすよ」
とオカアは言った。
(58~59ページ)

「可哀想」と「ざまみろ」が入り混じる人間心理をえぐく描き出していて、いかにもありそうだと思わせます。このあたりの人間観察の鋭どさが、『甲州子守唄』の真骨頂かもしれません。

家々を回ってはお湯をおくれようと頼む軽いちょっと頭のおかしいオクレやんは、村の外部を歩いた経験から村人が見たことのないキャベツを知っていて、その名を出すと、

「生意気なことを言いやがって」 とオクレやんはおかみさんだちに髪の毛を摑まれてこづかれたり顔を引っかかれたのだそうである。(179ページ)

とみんなに虐められます。顔を引っかくって、女性が女性にやるんですか、とビックリする参加者がいました。

上のキャベツの件も、ムラの閉鎖性や同調圧力がさりげなく描かれています。こんなところに暮せないなあ、と読んでいて感じさせられますが、これは、それほど昔ではない日本のムラの風景といえるのでしょう。

不思議な文体

畑を買いたいが売る人がなく寒くなった。夜、土手に火の玉のような提灯行列が長く続いた。紀元は2千6百年のお祭りだった。(219ページ)

最初の文章は明らかにヘンです。英語に訳せないような主語のねじれた文章です。
編集者があえて指摘しなかったとは考えれませんので、意図してこう書いているはずです。
作文の授業で書いたらまず直される文章ですが、畑を買いたいが買えない徳次郎の気持ちと、外の寒さとがシームレスに(切り分けられることなく)つながって、独特の凄みを醸成してます。
対談集『滅亡対談」を読んだ参加者によれば、深沢は、「文章はうまく書いちゃだめだ、味がなくなるから」という趣旨の発言をしているそうです。
たしかに、これをきれいに論理的に書いてしまうと、内面と外面が一体になったようなこの独特の感じは損なわれてしまうかもしれません。
「きれいなこと」「論理的に整合的であること」を捨てることで見えてくる、異次元のリアリティがここにあります。それは、わたしたちの人生や世界が、必ずしもきれいに論理的ではなく、整合的でもないことと対応しているのでしょう(と、深沢七郎は論理的に語ることなく、ただ「味」と言っておしまいにしてしまいます)。
それ以下の文章も、寒くなった→行燈行列の長い列→二千六百年というふうに、イメージ上で繋がっていき、独特の想像力の広がりを見せています。
こういった破格の文章が、随所に見られ、この本に奇妙な奥行を与えています。

 一年の幕開けにふさわしい、強烈なインパクトのある本でした。お正月だったこともあって、終了後は本の福引もあり、大いに盛り上がった読書会でした。