coffee &
paperbacks

a little time for reading and chatting with a cup of coffee

coffee & paperbacks は、同じ小説を読んできてあれこれおしゃべりをする、誰でも参加歓迎ののんびりとした読書会です。

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NUMBER
2
TITLE (新潮文庫)
AUTHOR 安部 公房
DATE 2013年5月19日 15:00~
PLACE Nさんの家
NOTE  

about the author

安部 公房(1924~1993)
日本の小説家、劇作家、演出家。
医師である父・浅吉と、母・よりみの長男として、東京府北豊島郡に生まれ、少年期を満州で過ごす。1946年敗戦のために家を追われ、年末、引揚船にて帰国。
1943年、東京帝大医学部入学。1948年、医者にならないことを条件に単位を与えられ卒業。医師国家試験は受験しなかった。
高校時代から詩人リルケと哲学者ハイデガーに傾倒し、『無名詩集』を自費出版。

1948年、処女長編「粘土塀」を認めた埴谷雄高、花田清輝、岡本太郎らの運営する「夜の会」に入会。
1950年、勅使河原宏や瀬木慎一らと「世紀の会」を結成。この時期は食うや食わずの極貧で、売血をしながら糊口をしのいでいた。

1951年、『近代文学』2月号に短編「壁――S・カルマ氏の犯罪」発表。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に触発されて生まれ、満洲での原野体験や、花田清輝の鉱物主義の影響が含まれている超現実主義的作風。
1951年、第25回芥川賞を受賞。選考会では宇野浩二から酷評されたものの、川端康成と瀧井孝作の強い推挙が受賞の決め手となった。

1962年(昭和37年)に『砂の女』発表、国際的な評価を得る。
以後次々と実験精神あふれる意欲作を発表、この頃から有名作家となる。

1973年、演劇集団「安部公房スタジオ」を発足。発足時のメンバーは、新克利、井川比佐志、伊東辰夫、伊藤裕平、大西加代子、粂文子、佐藤正文、田中邦衛、仲代達矢、丸山善司、宮沢譲治、山口果林。
堤清二のバックアップにより日本では主に渋谷西武劇場で、海外公演もそれぞれ積極的に行ない、1979年のアメリカ公演「仔象は死んだ」は反響を呼び、以後各国の演劇界に影響を与えたが、自身の健康不良のため、1982年に活動を休止。

晩年はクレオールに強い関心を持ち長編『飛ぶ男』の執筆に取り組んだ。
1986年、ジャッキを使わずに巻ける簡易着脱型タイヤ・チェーン「チェニジー」で第10回国際発明家エキスポ86で銅賞を受賞している。
1992年脳内出血で倒れ、1993年1月22日死去、68歳。

三島由紀夫らとともに第二次戦後派の作家とされた。
主要作品は、小説に『他人の顔』『燃えつきた地図』『箱男』『密会』など。戯曲に『友達』『榎本武揚』『棒になった男』『幽霊はここにいる』など。
作品は海外でも高く評価され、30ヶ国以上で翻訳出版されている。晩年はノーベル文学賞の候補と目された。

from the facilitator

昨年、未発表の短編小説『天使』が見つかって話題になった安部公房ですが、そういえばずいぶん前に『壁』を読みたいと思ったまま手付かずだったことを思い出しました。
「突然自分の名前を喪失してしまった男」の話だなんて、こわくておもしろそうなので選びました。
春になって温く緩んできた陽気の中で、ピリッとしたものを読みたい気分です。

読書会を終えて

『壁』は安部公房のデビュー作。三部構成の物語で、また、第三部には、短い四つの短編が収まっています。
各部は独立していて、直接の関係はありません。「壁」というテーマでうっすらと内容的につながっている連作短編集です。

面白く読んだひととつまらなかったというひとがはっきり分かれました。
前衛的で妄想めいた物語が、不条理喜劇のような台詞+ト書き風の文体で綴られていきます。

「見たわ。」とY子はびっくりするように大声で言いました。それから普通の声で言いました。「でも、気にしないほうがいいわ。相手にしなければ、あんなもの、いないと同然よ。なぜか、私理解できるの。裁判だなんて、きっとみんなの想像だと思うわ。」最後はやさしい恋人の声で言いました。(新潮文庫66ページ)

「びっくりするように大声で→普通の声で→やさしい恋人の声で」と語調がうつりゆくこのシーンなど、まさに舞台の台本そのものです。悪のり気味のところも多く、これが肌に合うかどうかで、好みが割れたようです。

第一部は明らかにカフカ『審判』、影を食われた男が主人公の第二部はシャミッソー『影をなくした男』を下敷きにしています(シャミッソーは、本文中に名前もでてきます)。

たとえば、ここはいかにも『審判』的です。

「いや、被告は逃げることはできない。壊れたドアから、法廷はどこまでも延長されるのだ。」

哲学者の一人でした。姿は見えなくても、さすがに委員たちは逃げずにこのホールに留まったらしいのです。(63ページ)

また、

「何を待っているか…誰も待ったりはしません」(32ページ)

と、ベケットの『ゴドーを待ちながら』を暗示したり、第二部ではブルトンやダンテが登場するなど、元ネタへのオマージュが随所にちりばめられています。
ただ、そのオマージュがどこかに収斂していくのかというと、そうでもなく、ただ「言いっぱなし」にすぎないところがビミョーという意見が出ました。

ただ、細かい部分を読みこんでいくと手応えがあって、二度繰り返される、

「三に五を足すと幾らだ?」

など、よくわからないこだわりも、深読み派には楽しい。

面白かったのは次のくだりの解釈。

すなわち、世界の果という概念も、むしろその言葉のもつニュアンスとまったく逆の相貌を呈してきた。つまり、地球がまるくなったので、世界の果は四方八方から追いつめられ、そのあげくほとんど一点に凝縮してしまったのですね。おわかりでしょうか?もっと厳密に言えば、世界の果はそれを想う人たちにとって、もっとも身近なものに変化したわけなのです。言いかえると、みなさん方にとっては、みなさん自身の部屋が世界の果で、壁はそれを限定する地平線にほかならぬ。(111ページ)

男性陣はここを抽象的・観念的な場面ととらえて難しさに悩んでいたのに、女性陣は、「紙の世界地図をひろげ、それをくるっと丸めて球体にする」というだけの話だと看破しました。独りで読んでいたら気づかないことがわかり、目から鱗が落ちる体験でした。

この作品にかぎらず、観念的に見える文章も、きわめて視覚的・空間的に描いていくのが、安部公房の特徴のようで、他の作品『箱男』なども、とても具体的に箱の制作方法などが記されているそうです。建築をやっているひとは面白いだろうという指摘がありました。
第三部の詩的で美しいシーン、

もうこれ以上、一歩も歩けない。途方にくれて立ちつくすと、同じく途方にくれた手の中で、絹糸に変形した足が独りでに動きはじめていた。するすると這い出し、それから先は全くおれの手をかりずに、自分でほぐれて蛇のように身にまきつきはじめた。左足が全部ほぐれてしまうと、糸は自然に右足に移った。糸はやがておれの全身を袋のように包み込んだが、それでもほぐれるのをやめず、胴から胸へ、胸から肩へと次々にほどけ、ほどけては袋を内側から固めた。そして、ついにおれは消滅した。
後に大きな空っぽの繭が残った。(223-4ページ)

ここも、言われてみれば、とても建築的な印象です。 そもそも『壁』というタイトルからして建築。本文中にコルビュジェの名前まで出てきます。

その壁は作品中、重層的なイメージを与えられていますが、

「壁は実証精神と懐疑精神の母胎」(118頁)

という難解な表現に、みな頭を悩ませフリーズしました。粘って考え、「壁を見つめることで、思考が始まり、人間は動物性を離れて精神をもつ人間になった」という話だと結論。

やはりおかしなことはなるべくないほうがいいものです。従来ぼくは理性は人間を不自由にするものだと考えてきました。しかしこんな目にあってみればそれも考えなおさねばならないではありませんか。こんな具合に理性が役立たなくなり、自由がなくなると、必然と偶然のけじめがまるでなくなって、時間はただ壁のようにぼくの行手をふさぐだけです。(80-81ページ)

難解に思えた上の文も、参加者の指摘で、とっかかりを失った世界と時間がぐんにゃりとした粘度みたいになって立ちはだかる、というイメージをつかまえることができました。

わからない点をじっくり議論できる、読書会の醍醐味を堪能できる回になりました。ひとが自分と違うひっかかりを持って読んできたのがわかり、読んでつまらなかったと感じたひとも、「やっぱり結構面白かったかも」と思い直すことができたという、いい会でした。